カネより価値のあるものは無いという主張への簡単な反論

“愛はカネでは買えない”とか“時は金なり”とは巷間では言われているが、もっと簡単な反論として、そもそも売買とはお互いが持っているもの価値の錯誤から生じるのが取引の本質ということである。
我々が缶コーヒーを買う時に130円を支払うのはその缶コーヒーが130円より価値があると認めるからである。缶コーヒーよりも130円のほうに価値があると考えるならば、我々は缶コーヒーを買わないし、130円を飲み込んで喉の渇きを癒すだろう。缶コーヒーを売る人は原価50円(テキトーです)くらいの缶コーヒーを130円で売って利益を得る訳だし、我々は130円以上の価値があると認めるからこそ130円で缶コーヒーと交換する。
つまり、カネより価値のあるものは世の中たくさんあるのだ。
売買がお互いの錯誤から生じる非対称な関係であることを忘れてしまったのか、初めから考えていない人が“世の中でカネが一番価値がある”と主張するのである。カネは交換することでその価値を証明する。カネはモノと交換するための道具であって、カネ自体に他の効用は無い。精々使いづらいトイレットペーパーくらいしか用途が無い。
貯金をするのは理にかなっているが、それはいずれ使うことが前提だ。
カネを貯め込んで死んでしまうのは愚かな生き方だ。
散財しろとは言わないが、使わないとカネを持つ意味がない。
拝金主義者はカネの本質を見誤った倒錯者と言えるだろう。

 

2016年9月8日

 

 

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