恨(ハン)を楽しむ人
この前大阪で大規模な反韓デモがあったそうだが、マスコミからはほぼ黙殺されたらしい。
考えてみればそれもそのはずで、昔は憎しみを人前に晒すのは恥ずかしいことだとされていた。それは憎しみを他人と分かち合おうとしても、共有を持ちかけられた人間は憎しみに苦しむことになるからだ。だから憎しみで他人に共感してもらうのは迷惑な話なのだ。
日本では古来から憎しみを共有するという習慣はなかった(と思う)あったのは朝鮮だ。
呉善花氏の指摘では朝鮮は昔からこれを恨(ハン)を楽しむといっていた。
朝鮮人は信号機が赤いのも誰々のせいと言って恨みつらみを述べてストレスを発散していたそうだ。
憎しみには多大なエネルギーが要る。憎むのは疲れる。だが、永遠に憎み続ける人がいる。
それは韓国人だと日本人は言うが、大阪で反韓デモに参加した人も同じだと思う。
彼らは反韓という憎しみを楽しんでいる。韓国への罵詈雑言を並べてストレスを発散しているのだ。それでいながら彼らはK-popが好きだったりする。
「愛」の対義語は「無関心」だ。愛と憎しみは実は近いところにある。
憎しみとは愛の裏返しなのだ。
だから、彼らの憎悪をすんなり聞き入れると普通の人は消耗してしまう。
反韓でいつまでも憎み続けていられるのは、憎しみを楽しんでいるからだ。
こういう屈折した愛憎にいつまでも付き合っていると普通の人は苦しみでへたばってしまう。
反韓デモに参加した人は朝鮮人の映し鏡なのだ。
彼らはそっくりなのだ。朝鮮人に(朝鮮人が全てそうだとは思わないが自説の補強のため敢えて反韓の人たちが用いる朝鮮人の定義を援用する)。
この屈折したメンタリティは朝鮮人だけではなく極東の人間に共通する病理らしい。
彼らにとって憎しみが気分を高揚させ興奮させるのだから、おそらくその興奮を他人と共有したくてSNSで口汚く反韓を叫んでいるのだろう。
彼らにとっては憎しみの苦しみが気持ち良いと感じているので、倒錯者である可能性が高い。だから普通の人には理解されない。
彼らを理解してくれるのは”苦しみが気持ちいい”と認識してくれる人だけだからである。
2016年12月10日