効率化の落とし穴

 

世間では啓蒙書の多くが仕事の効率化を推奨しているが、それについてちょっと異論を挟みたい。

作業の効率化が絶対善のように唱えられているのだが、それは作業を効率化して余った時間は他の作業や余暇に充てましょうというものだ。
作業を効率化して仕事が無くなれば、また他の仕事をしましょうというものだ。
だが、これは新しい仕事が無限に開拓出来ることが前提だ。
現在は仕事が専門化・高度化して容易にジョブチェンジが出来ない。
他の仕事を覚えるにしても必要とされる学習時間は長い。
そして、苦労して身につけたスキルの賞味期限は短い。
おそらく目まぐるしく変わる市場のニーズについて行けない人が続出するだろう。
人間の能力は昔も今もそう変わらない。
現代人が昔の人よりも賢いかといえばそうでもないらしい。
人間が習得出来るスキルは今も昔も限度がある。
そんな中で作業を効率化してさらに新しい仕事を創出して行くのは無理がある。
新たな雇用が創出されない状態で、仕事の効率化を励行すれば当然失業者が増える。
そして、短期間では取得出来ない仕事の技術を延々と学び続ける仕事難民が増えていくように思う。
卑近な例を挙げれば、今IT業界ではコンピュータ言語が百家争鳴状態で、それにより最新のコンピュータ言語を習得した技術者が不足している。
エンジニアがいないから賃金は高騰する一方で、IT市場は狂騒状態になっているが、このにわか景気は実体が無いものでいずれバブルのごとく破裂するように思う。
仕事の効率化は焼畑農業のようなもので、“仕事”という限られた資源が無尽蔵にあることが前提に成り立っている。
政府は雇用の流動化という名目で非正規雇用を増やしているが、新たな雇用を創出出来なければいたずらに失業者を増やしているのでしかない。
政府の本音を代弁するならば、雇用の流動化に対応するためというよりも企業の固定費を削減したかっただけのように思う。
私は仕事の効率化には賛成だが、それは極度に高度化された仕事でない仕事がこれからも創出され続けることが前提だ。
しかしそれは現実的では無い。
多分これからは人間の手には負えない高度な仕事が増えていくように思う。そして人はそのニーズについていくために一生勉強し続ける。
人工知能に仕事を奪われ雇用のパイが小さくなっていく。

仕事の効率化はある程度までは効果があるが、基本、人間の能力が対応出来る限度内でジョブチェンジが出来る場合においてのみである。

無限に仕事があると思う人は仕事の効率化を錦の御旗にすると思うけれど、誰もが科学者や医者に成れないように、高度化する労働市場についていけない人は失業者になってしまう。

現代のラッダイト運動が起こりつつあるように思う。

 

2017年2月19日

 

 

HOME>目次>効率化の落とし穴

Amazonで応援してくださる方はこちらから!