海に飛び込む日本人


安倍晋三が鼻息も荒く憲法改正を訴えているのだが、日本の根強い憲法改正論を分析すると理屈としてはあまり意味の通らないロジックの使用が散見される。

 

1.アメリカから押しつけられた憲法を廃し自主憲法の制定を目指すこと。


2.アメリカが戦争で人的損失を被っているのに対し、日本もまた同等の負担を負わなければ対等な同盟関係とはいえない。

 

3.世界が自国の軍隊を保有していることに日本が武力を持てないということへの恐れにも似た不安。

 

1.については諸手を挙げて賛成しなかった人が居て、そういう人のルサンチマンを支持する人が現代で増えてきたことによる。
それは韓国の政治情勢を見ていれば分かるのだが、拮抗する政治勢力の交代により対外的な約束を簡単に反故にするのを目の当たりにすれば、日本の憲法改正議論も本質的にはそれとそう変わらないことが分かる。
日本の9条廃止は、対外的には韓国の変節する外交政策と似ている。
2.については”格好いいスネ夫”理論というべきか。
他人の喧嘩に加勢する意気込みは威勢が良いが、加勢する喧嘩で人が死ぬという現実に日本人の当事者意識が希薄な気がする。
戦争で人を殺すという生々しいリアリティを日本人にあまり感じることが出来ない。
死んだら英霊になるとか、死んでも魂は生き続けるとか、日本人は生と死の線引きが曖昧だ。その曖昧な死生観が80年前の日本人を熱狂的な死に駆り立て自滅していった。
その強迫観念は現代になっても日本人の心を放してはいないのだろう。
3.は日本人の性質に依るところが大きい。
タイタニック号沈没のジョークで、周囲の人が海に飛び込んでいるから日本人も飛び込むというあれである。
日本人は他者とは違う振る舞いを恐れる。そのホモジーニアス(均質性)の性質が”諸外国と同様でありたい”と願うのである。
日本の学校社会でのいじめを観察すれば解るように、周囲からシカトされて独りになってもポリシーを貫く人間は少ない。
イジメに荷担していないといわれる生徒であっても、周囲から浮かないよう同調圧力に従っている。こういう人達が日本を”普通の国”である事を望むのである。普通の国を望む人は1クラスが30名と仮定してイジメを受けている1名に対して29名居る訳だから約30倍の普通の人が居る訳でそういう人達が憲法改正を望むのである。
岡田斗司夫氏は現代日本人がヤンキー化していることを指摘していたが、ヤンキーはつるむし集団の中であっては没個性になることを望む。
これじゃ、イノベーションは生まれんよなあと納得してしまうのだが、9条廃止については日本の生存戦略にも関わってくるので他人と同様の振る舞いをして生き残れると考えているのなら甘いとしかいえない。最初にやった人間の真似をしたら失敗したというシチュエーションは映画を観ていたらよくあるではないか(ハリウッド映画ではこういう寓話をしつこいほど繰り返して見せている)。
結局、世界で生き残るのは一人であってもポリシーを貫く者だけだからだ。そこからしかイノベーションは生まれない。
”平和憲法は世界情勢に則していない”という理由であってもそれに対する代償をよく考慮しないと大きなツケを払わされる事になる。
改憲の理由が「時代に則した憲法」というのは要注意のサインである。
合衆国憲法は修正条項を度々加えているが根幹部分は変わっていない。
だが日本国憲法9条はこの憲法の精神を体現すものだ。
ここを変更されるなら日本国憲法は骨抜きになってしまう。
他人と同じようなことがしたいから憲法を変えるのは安易すぎると思う。
日本国憲法はいじめられっ子の憲法であって、いじめに荷担するような人には我慢ならないのが平和憲法なのかもしれない。

 

2017年5月14日

 

 

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