バカのスコープ(Scope)
賢さあるいは愚かさの基準を定義するとどれだけ未来を正確に推測出来るかに依るように思う。別の言い方をすれば人間はある程度未来が判る生き物である。
これは原因から結果を推測する能力のことだ。
賢い人間は原因と結果を観察してその過程を理解することが出来る。
手品を見てタネが解る人はたぶん頭が良い。
だが、そんな頭の良い人でも混迷する現代を読み解くのが難しい。
昔は社会の変化が緩やかだったので、未来を予測するのは比較的簡単だった。
そんな時代では頭の良い人もそうでない人もそれほど顕著な差が生まれなかった。
だいたい真面目に生きていればそれなりの幸せを掴むことが出来るだろうと信じそのとおりの人生が約束された。
しかし、現代になると時代の変化が急激になり未来を予測するのが難しくなってきた。
誰もが先の人生が見えないので取りあえず目先の利益に飛び付くようになる。未来を見通す範囲(scope)が著しく狭くなるのだ。
だから現代人の多くがその結果バカのように振る舞ってしまう。
巷に溢れる衝動的な犯罪も原因に対する結果が予想出来ないので一見バカな行動に見えてしまうのだが、これは構造的にバカな行動を強制されているのである。
未来が見えない、目先の利益を優先せざるを得ない。
そんな社会がバカを生む。
昔ならば緩やかに変化する社会において従順に生きていれば得をすると理解していた人はバカとして顕在化はしなかったのだが、現代はそんな人が表面化し愚行に走ってしまう。今は費用対効果が五月蠅いので、投資したカネは近日中にリターンせよと約束させられる。
だから、100年先の配当金について語ることは守られない約束をしていると思われてしまう。
そのために現代は遠大な計画が描けない。
よって人はますます短絡的(バカ)になるという訳だ。
2017年8月15日