保護主義と都民ファースト
昨年はトランプが”米国民ファースト”という保護主義を掲げて大統領に当選したが、蓋を開けてみれば大した成果を挙げていない。
それは考えてみればその筈で、利益を独り占めしましょうと訴えかける人間は結局のところ自分の利益だけに汲々とするのである。
世界の人間は歴史的にこのロジックに騙され続けてきた。
外国人を排除して我々の利益を確保しましょうと提案する人間はその”我々”の範囲の定義をぼかす。それが”米国民”だったり”都民”だったりするのだが、それは支持を得るための口実に過ぎず、その本分は自己の利益の確保である。
それは迷惑メールの勧誘に似ている。
余所者は除いて自分たちだけで利益を独り占めしようと誘う訳だが、それを信じてカネを払った人間は後でそれは自分もまた除外される余所者の一人であると思い知らされるのだ。
映画というのはそういった人間観察に優れていて、ある映画で強盗の一味が山分けを拒否して騙し合いが続き最終的に利益が一人に集約されるという話型を現在になってもしつこいくらい繰り返して見せている。
このロジックの延長線上には、利益の分配を限定化する人間は最後には自分の利益を優先することであり保身となってその政治姿勢が顕在化される。
このことから鑑みて我々に利益を分配してくれる指導者は、「皆のためにあなたの富を差し出しなさい」という人間だけだ。
スパムメールには騙されないという人でも、政治では安易な儲け話を鵜呑みする人が後を絶たない。
大体、トランプなんて生き馬の目を抜くような社会で強かにサバイバルしてきた強者だ。それがなんで言ってしまうと悪いのだが社会の落伍者に利益を山分けすると約束するのだろうか。利用されている事に気付かないからトランプに投票する人が無くならない訳だ。
都民ファーストで自分たちの利益が確保されると思っても最終的には”都民ファースト”の仲間から除外される可能性を否定できない。
”自分たちだけが美味しい目に遭う”というのは語義矛盾であって、正しくは”自分だけが美味しい目に遭う”というのがその本質なのである。
「情けは人のためにならず」とは言うが、自らが率先して他人に与える人間にならなければ、また他人から与えられる人間には成れないのだ。
2017年8月26日