快適になっていくほど人は不寛容になっていく話

 

何度もあげつらって恐縮なのだが、成果主義という価値判断が人をより個人主義に向かわせている。自分で稼いだカネは自分のモノであり、他人の助けなど全く借りていない。そういう認識が相互扶助の精神を蝕み人が社会の一員である事を忘れさせ、社会というサービスの受益者という意識を増大させる。

社会が便利で快適である程、人はそれを当然の事と受け止めその快適さを阻害する存在が許せなくなる。電車内での香害や臭いハラスメントもその被害者達の心理は自分の快適な生活を妨害する存在は許容しがたく、異質なものと共存する能力をとうの昔に喪っている。尾籠な話しにはなるが、臭いハラスメントの被害者は自分の屁についてはどう感じているのだろうか。自分の臭いについては甘受して他人のは嫌であるという姿勢はまさに現代の個人主義の顕著な例であり、体臭がしない代わりに偽善臭を発散させている。時代が下る毎に社会がリベラルになっていくというのは予測が間違っており、社会が快適になる程、人は保守的になっていく。映画は大劇場からシネマコンプレックスになり、大作を皆で共有するよりも数多くのニッチな作品を各々が個人的な理由で観にいく。国民が共有する一つの幻想というのは幻想でしかなく、国民は各自自分の志向を追求する。

しかし、比較するとアメリカは他民族国家であり、この個人主義的な思考の耐性が強い。だが、日本は一応多民族国家だが、多くの国民はその認識が薄い(筆者にはそう見える)。社会を分断する個人主義的な考え方が瀰漫すると社会は瓦解するのだが、日本政府もマスコミも認識が甘く、的外れな対応でお茶を濁している。頭痛がしているのに足に水虫の薬を塗るような処置だ。くどいが中途半端な成果主義を導入するから個人主義が蔓延したのである。様々な思想や信条を持つ人が集まる国はその対立があるがゆえに調停や対話というのが生まれる。

だが、日本のようなネット上での炎上事件や、過去を遡れば近所に保育所を建てる事への反対運動、はたまた沖縄米軍基地の移設問題と自分だけの快をことさら主張する国に明るい未来は無いと思う。

 


 

2017年9月24日

 

 

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