成果主義とホワイトカラーエグゼンプションが向かうもの

 

成果主義について考えた。
考えて気が付いたのは成果主義とホワイトカラーエグゼンプションは本質が似ていることだ。これら二つのポリシーに共通するのが、”企業のリスクを回避する”というポリシーだ。
成果主義は労働者が成果を挙げたぶんだけ賃金を支払う。裏を返せば、働きが悪ければ賃金を払わない。ホワイトカラーエグゼンプションは成果の伴わない残業代を払わない、つまりは利益が出た時だけ賃金を支払うという意味だ。これらは企業が損をしないでリスクを労働者に回すという仕組みである。ここから見えてくるのは未来の企業は損をしないような制度で経営出来るようになるということだ。損は労働者が引き受けるようになる。
リスクを取らない企業に意味はあるのか疑問なのだが、自民党としては企業の経営者が支持基盤なので労働者にリスクを押しつけることは全然オッケーなのである。リスクを取らない企業は基本的に存在する意味が無いのだけれど、労働者に全てのリスクを負わせるのであれば企業は不要という考え方が自民党には無いらしい。真の成果主義が導入されれば企業はたんに中間マージンを搾取するだけの会社になる。そうなると会社を通さずに労働者と発注者間だけで取引をしましょうということになる。完全成果主義を導入すればいずれ企業はその役目を終える。現在に至るまでの世界経済の歴史は効率化と無駄の排除だからだ。だから完全成果主義を導入すれば近未来は企業が不要になる。余談だが近年の企業で社員に保証人を要求するケースがあるのだが、個人で責任が負えないから法人が存在するのである。企業が社員に刑事責任を問う場合でも保証人を要求するのはおかしい。それは企業という法人としての責任を一個人に転嫁している時点でその企業は法人として正常では無い。只、現在では法人が法人としての責任を免責されるような流れになっている。それにより企業が存在する意味がますます希薄になってきている。いうならば企業が存在する意義は個人に代わって責任を取るから企業としての意味がある。
設備投資が無いから名目上はあるものの実は資本が無いのが派遣会社である。派遣会社は現代の錬金術なのである。只、日本の産業構造が一部の賢い人間が収益モデルを作ってそこに人が群がる構造(携帯電話会社とか)であり、いったんそれが出来ると今度はそのシステムに寄生して生きる人達を淘汰しながら収益率を上げていく仕組みなので、派遣会社もまた淘汰されていく。派遣制度はいずれ入札制度に代わっていくと思うが、いろいろ政治的な利権が絡んで改革が出来ないようだ。これにメスを入れなければ、物作りの国から取り残されると思う。自民党は産業を育成したいと言うけれど、儲けるのは労働者じゃなくて資本家という意図だから国力がより衰退していくのだ。たぶん共産主義とはまた逆の理由なんだろうね。国が衰退するというのは同じで、近未来の日本では僅かな労働者に寄生するリスクを負わない派遣会社や企業が乱立するようになる。生産者がいないのだから国力が落ちる。ま、そこは移民で補うことになると思うけれど、それは今の日本でもう始まっている。
結局のところ今の日本社会はババ抜きなんでそういう理由が人の心を荒廃させているのかも知れない。


 

2018年1月5日

 

 

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