ブラックパンサー 評論
中央アフリカに超文明が存在しているという設定が世界のアフリカへの固定観念を覆していてまた面白い。これは”暗黒大陸アフリカ”、”西欧中心主義”へのアンチテーゼなのである。たしかにウカンダは架空の国なのかもしれない。だが、それを前提に考えてもウカンダという王国は我々の想像の世界で影響を及ぼしている。
ウカンダはその存在の有無に関わらず、非常に重いメッセージを残している。どこの国にもルーツと文化があるのだ。ルーツに敬意を払え、尊敬せよ、と作品は訴えているのである。映画史的に見れば、”exploitation movie”と言われた黒人が主人公の作品はあった。それはそれでじゅうぶん楽しめた。ブラック・ムービーには黒人を惹きつける要素があった。だが、今作は黒人のためだけの映画ではない。黒人を主軸に置いた人類のための映画なのである。黒人と白人の立場が逆転するという設定は日本の小説でも似ているものがあった。豊田有恒の『モンゴルの残光』という作品がある。これはモンゴル帝国が世界を支配していたらという”IF”の世界の話しでそれにまつわる差別がテーマだったのだが、この『ブラックパンサー』ではアグレッシブに差別を描かないまでも、アフリカ人と白人の文化的ステータスが逆転しているという設定がすでに位相的に差別への強い批判になっている。だが、そんな人種間の憎しみに終止符を打とうとするポジティブなメッセージが作品に籠められており物語の中で女スパイのナキア(ルピタ・ニョンゴ)が白人のCIAエージェントを救う場面があり、これは黒人による白人への赦しと和解を描いている。
ウカンダの未来的な街並みのデザインも相当配慮されているようで、西欧に感化されていないアフリカ文化を色濃く残し固有の文化に敬意を払っていることは見ていて解る。
また、ナキアが持つリング状の武器も”ウォーコイト”と呼ばれる”フンガムンガ”と並ぶアフリカの伝統的な武器だ。ストーリーもシェイクスピアの作品を彷彿とさせる骨肉の争いなどヒーローとワンセットになっている宿命的な葛藤が泣かせられる。
作品の中でウカンダの国王であるティ・チャラ(チャドウィック・ボーズマン)がウカンダが移民を受け入れるのか苦悩するシーンがあるのだけれど、アメリカと難民の立場を逆転させた風刺である。そのティ・チャラの決意はモンロー主義への批判が籠められている。
ウォルトディズニーはマーベルから輩出されるヒーローシリーズに益々政治的なメッセージを含むようになり現在アメリカの保守的なムーブメントから離れてきている。ティ・チャラが演説で「危機の際に賢者は橋を架け、愚者は壁を作る」と話すシーンは完全にトランプへの皮肉である。
ディズニーは自分の髪の毛を掴んで宙に浮こうとしているように見える。
それは思想の跳躍と呼んでもいいと思う。この『ブラックパンサー』は架空の世界から現実を変えるちからを持つ作品と言っても差し支えない。
★★★★★
2018年3月1日(木)ロードショー