フットルース 評論
過去の痛ましい事件によってダンスを禁じられた保守的な町にやってきた、一人の高校生が閉塞した町の雰囲気を打ち破る痛快無比なストーリー、といえばその通りなのだが、ロック、ダンスというのは大方大人達には人気が無いというのは定番である。 ロックやダンスに付き纏う属性は反体制や革新と言った現状を否定するニュアンスに富んでいる。 この映画に含まれている寓意は若さを発散させる手段を大人の都合で若者から奪うなよ、というだけでも無い。 映画の底流にあるのは、人類が営々と刻んできた古いルールを新しい人間が改定する普遍的なストーリーである。 日本でもその昔、天から御札が降って来たと言いはやし「ええじゃないか」と踊り狂った歴史がある。 いつも踊りとは生への喜び、因習を否定して権威を無効化する力を持っている。だから大人達は音楽、踊りを恐れる。 映画ではヒロインの兄が頓死したからダンスを禁じられていると説明されていたが、この映画の大意は連綿と続く権威への抵抗がテーマなのである。 ヒロインがあまり名の知られていない女優さんだったので、名前は判らないのだけれど、堅物の牧師の奔放な娘という複雑な役柄を上手く演じていた。 踊りが上手いだけのケビン・ベーコンよりもずっと厚みのあるキャラクタだった。 元彼にグーで殴られて鼻血を吹きながら鉄パイプで応戦するというバイオレントな描写は最近の映画ではあんまり見ることは無くなってきたような気がするし、血気盛んな若者の血がたぎるような映画だった。 また、ストーリーの骨格だけに焦点を当てると、新しい人間が未来を切り拓いて行くという典型的な話で、制作者は映画撮影にあたりミーソロージーを徹底的に研究したようにも思える。 映画では若者の努力に依ってダンスを取り戻したところで終わっているが、大人の映画とはその後のストーリーこそが本当に語られるべきストーリーであることなのは蛇足なのだけれど、ケニー・ロギンスが歌う主題歌で幕を引いたのはやはり青春映画としての王道だったのだろう。
★★★★