ポッピンQ  評論

©東映アニメーション/「ポッピンQPartners 2016

配給/東映

 

世界を守るために踊りを奉納するという設定に特に具体的な説明が無く私のような頭の固い中年には唐突な印象を受ける。
場面説明が不足しているような感じがしたが、裏設定は結構詳細に構築されているらしく、それらはノベライズ等でポッピンQの世界観を周知していくらしい。

 

ジャンルはファンタジーなのだろうけれど、この人間界だけではないパラレルワールドの安定のために踊りを踊らなくてはならないというのは、少々意味不明な感じがしないでもないが、そもそも世界の神話では踊りと神との交信は密接な関係があった。だから意味不明と言うのは自分の不明を告白することだ。
踊りという行為は人間のプリミティブな情緒にビルトインされている点で、ポッピン族の存在はあながち場当たり的に作られたものではない。
だが、時の谷の世界の住人は踊りを踊るがその対象となる「神」の存在がない。それが違和感というのか、何かが欠損しているような感じがしてしまう。
“踊り”とは恵を授かることを交換条件に神を楽しませる娯楽を提供する商行為である。その理路が通ってこそ踊りとしての意味が成り立つ。でも、ポッピン族の踊りとそれから得られる果実を架橋する神の存在が無い。
しかしこれもポッピンQの物語世界を構築する設定が徐々に明らかになるにつれ疑問が氷解していくように思う。

 

ポッピンQの設定が断片的に公開されていくので、歌舞伎でいうところの「通し狂言」では無く様々なエピソードを統合した「綯交ぜ」か、見所ばかりをピックアップした「見取り」のような構成になっている。ポッピンQに登場する5人の少女にはそれぞれの物語があるのだが、部分的に描かれていて各自のエピソードは軽い説明だけに留まっている。
物語の中心となるのは陸上部で足を傷めた小湊伊純(CV:瀬戸麻沙美)という少女。
彼女を中心に物語が進行する。彼女が負う心の痛みはどの時代の青少年もが抱える葛藤そのものであって、こういった物語に普遍性があるのも我々は多くのものを失いながら何かを得ていく過程こそが大人への階梯なのである。だからいい齢した大人が観ても心に沁みてくるものがある。ぬいぐるみのようなキャラクタが踊っても、パラレルワールドが宇宙に展開していようともそれは変わらない。この作品で描きたいのは、多感な少女たちの迷いや挫折と、それを乗り越える強さを獲得するまでを描く青春の息吹そのものだ。

 

ポッピンQは各5人が卒業式を迎えるその日の数時間のうちに体験する冒険だが、彼女たちはこの冒険でまた元の世界で生きていく新たな力を獲得する。
卒業式を英語では“commencement”という。意味は“始まり”と“卒業式”の両義を持つ単語である。

卒業には何か寂しさのニュアンスを伴うケースがあるが、この作品では卒業とはまさに全ての“始まり(commencement)”であるということ。本来、卒業にはネガティブな要素は無く、卒業は新たな人生を歩むその力強さを与えてくれるものだ。そのことを教えてくれるのが本作であり、青少年が新たな旅立ちを前に過ぎる通過点がポッピンQの世界なのである。

 

★★★★☆

 

2016年12月23日(金・祝)全国ロードショー

 

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