インターステラー 評論

親子愛だけではなくそれを犠牲にする人間の葛藤を描いているのでいっそう奥深い作品になっている。
個人的な利益を犠牲にして公益を優先するのか、その2つの課題が対立してダイナミズムが生まれている。映画の冒頭で、アポロ計画はソ連の野望を挫くためのプロパガンダ作戦だったと改訂版の教科書には記述されていたそうだが、真綿で首を絞められるような緩慢な死を待つ地球で、誤魔化しながら生き続ける世界の人がある意味現代の問題を象徴化して辛辣な警鐘を鳴らしているように思う。現代の日本は衣食住も足りて不足のない生活を送ってはいるが、世界中の人間がアメリカや日本人のような生活をすれば資源は枯渇し食糧難も起る。話しは少し逸れるが、私がオンラインでの中国語の授業を受ける際、Skypeのビデオチャットに映る講師は室内でもコートやダウンジャケットを着ている場合が多い。講師は北京郊外や黒龍江省に住んでいるのだが、室内温度が7〜10度くらいでも暖房を使わないのだ。つまりそれだけ光熱費を掛ける余裕が中国国民には無いのである。その13億人が皆ふんだんにエネルギーを消費すれば、世界はたちまち困窮状態に陥るだろう。日本の豊かな生活は貧しい暮らしを強いられている人達の犠牲の上に成り立つ不平等なものなのである。だから主人公が生きる近未来社会は利己的な生活スタイルを嗜好した人達への痛烈な風刺であり、フロンティアを目指さなくなった人が行き着くもっとも有り得るディストピアである。

人類を救う救世主が何故5次元の存在であるのかと言うと空間(3次元)を自由にコントロール出来るのが4次元の人間であって、その上位である時間(4次元)をコントロール出来るのは5次元以上の位置にいないと出来ないからだ。そこで、よく分からないのが、5次元の人間が時間を自由に行き来出来るとしても、過去に干渉する手段が「重力」しかないということだ。 5次元の人間であれば、因果律にも縛られないから過去を自在に変えることだって可能なはずだ。3次元の人間(つまり我々)は2次元の世界に対して因果律に縛られることはない。紙の上の漫画であれば、時間を逆行することも、墓場から蘇り赤ん坊に戻っていく描写も可能である。膨張宇宙が縮小すると時間も逆行するという仮説が有るがそれを下敷きにした清水義範の短編小説『グローイング・ダウン』を読んでもらえると宇宙の深遠さをさらに知ることが出来ると思う。

主人公の娘(マーフ)は重力に関する重大な公式を主人公の手を借りて発見するのだが、それには主人公が5次元宇宙人によってガルガンチュアというブラックホールへ導かれなければならず、その5次元宇宙人はどうも、マーフが発見した公式によって劇的に進化した人類の末裔のようなのだ。なので、誰が最初に主人公を、公式を解く鍵であるブラックホールのシンギュラリティ(特異点)へ送るきっかけを作ったのかが不明になる。エッシャーのだまし絵のように始点と終点が無いのだ。だが、5次元宇宙が介在すればその因果律も意味を成さないのかも知れない。私見だが、宇宙には始まりも終わりも無いのかも知れない。始まりと終わりの概念も3次元的な思考で生まれる発想であり、高次元の視座で見れば因果律は存在しないのかも知れない。

 

★★★★★

 

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