帰ってきたヒトラー 評論
ヒトラーが現代に甦るとどうなるのか。
この作品ではヒトラーを唾棄すべき大悪人とは描かずに、類まれなるカリスマ性を持った指導者として描いている。彼を笑い者にした作品は多いが、それは戦争の罪を一人の男に押し付けただけで他者は素知らぬ顔をしていないか？この作品はその疑問を常に観客に問うている。直截的に言えば、戦争犯罪の責任はヒトラーを支持したドイツ国民にあり、ヒトラーとはその時流にたまたま乗った政治家に過ぎないという見解である。
現代に甦ったヒトラーは人種差別をテーマに演説をぶっても、大衆にはそれがネタだとしか思われていない。むしろ大衆の本音を代弁していると支持が高まっていく描写はいつかみた風景で、ドイツが多額の賠償金の支払いで青色吐息だった第二次世界大戦前夜と変わらないところは、皮肉を通り越して恐ろしさが迫り寄って来る。
ヒトラーが行った大罪については例を挙げる間でもないのだが、この作品ではヒトラーを一個の普通の人間として扱うのと同時に彼を選んだ国民に批判の矛先が向けられている。この作品は風刺の効いた映画ではあるのだが、風刺されている対象はヒトラーではなくドイツ国民なのだ。本国では原作本が大ヒットを飛ばしているらしいが、ドイツ人は鷹揚なのか、或いは自分をそれだけ客観的に見られるようになった大人と言うべきなのだろうか。
世界では支配者が代わる度に過去の為政者をスケープゴートにすることで失政・苛政の責を逃れてきた。だが、そこには常に移り気な大衆の支持があった訳である。この作品は ヒトラーと大衆のあられもなき共犯関係を見事に炙り出している。
単刀直入に言えば、日本もまた同じことが言える。今の日本にしているのは政治家ではなく彼らを選んだ国民自身なのだ。たぶんこのリアリティを感じない限り日本にダイナミズムが起こることはないだろう。首相に任命責任があるように、国民には信任責任があるという訳である。この作品は国民不在の政治は無いのだという当たり前のことを証明せしめたのだ。これは万有引力の発見に匹敵する程、普遍の法則である。ドイツがこの映画の楽しめる域にまで達したのは成熟の証しなのかも知れない。
あと観る前の事前知識を提供するが、ドイツ人は無類の動物好きの国民であること。
ドイツは愛玩動物の殺処分０を実現した国であることはわりかし有名で、ドイツでは犬猫は買わずに里親から引き取るのが常識となっている。
上映冒頭でヒトラーがカウンセラー（？）にナチス式敬礼をたしなめられるシーンはドイツでは手を高く上げて敬礼するナチスの儀礼を法律で禁じているために、もどかしいカットになっている。この背景を知らない人には幾分か奇妙な印象を受けるだろう。
準主役のフリーランスのテレビディレクターとそのガールフレンドが彼女の家でいちゃつく時に棚からある宗教の儀式で使う祭具が落ちてくる。これで、彼女が何人であるのか分かる人はこの時点で察しがつく。
テレビ局の副局長ゼンゼンブリンクがヒトラーの映画化について交渉する際にブルーノ・ガンツを引き合いに出すが、これは『ヒトラー 最期の１２日間』でヒトラー役を演じた俳優の名前。
最後に評者は未読だが、映画の中では軽く触れられていた各政党党首との対談の詳細が原作には記載されているとのこと。映画を観て原作も読めばいっそう楽しめるかもしれない。
★★★★★
２０１６年６月１７日（金）TOHOシネマズシャンテ他 全国順次ロードショー