君はひとりじゃない 評論
クレジット:©Jacek Drygała
配給:シンカ
映像には不可解なシーンが多いが、物語の結末に説得力を持たせるための傍証となっている。だから静謐な映像の中に行き交う感情を丁寧に追わないと消化不良を起こすだろう。
セラピストのアンナ(マヤ・オスタシェフスカ)は治療法の一環として降霊術を行い、この映画はスピリチュアルの様相を呈しているのだが、スピリチュアルを超えたメッセージが込められているので後味の良いラストになっている。
只、一言付け加えておくと一見スピリチュアルの否定をしているような話に感じるのだが、本当のところはそうではない。物語終盤の病院内でのアンナとオルガ(ユスティナ・スワラ)との会話を注意して観てほしい。アンナはオルガのために降霊術をする意思があることを伝えているが以降その具体的なシーンは無いけれど、それがクライマックスの伏線になっているのである。
古代、医術と呪術の境界は曖昧だった。
まじない師は医者の役割も兼ねていたのである。
我々は現代の医療をもってしても救えないものがある。それは厳然として存在する。
人の魂はどこへ行くのか?
残された人の心の傷は?
その時アンナのような霊媒師も兼ねたセラピストが存在する強い理由になる。
アンナのセラピーは意外かもしれないが悠久の歴史の中では尤もな妥当性があるのだ。
人の心を癒すには論理性とか真偽はその人の心の痛みの前に効果が無ければ意味を喪う。
筆者はセラピーについて無知ではあるけれど、人の心を救うのに時に科学とか真実とかは目的が達せられなければその効果も霞んでしまうのは理解出来る。
この作品は科学一辺倒の時代の中で救われない魂を救う一つの方法を提示している。
映画のテーマとしてセラピーと霊媒師を結びつけたのは目新しいけれども、人類の歴史をひもとけばそのアイディアは至極尤もで首肯出来る内容である。
斬新なのは、医術+呪術がいにしえの医療であったが、それを現代の心の治療法である科学的なアプローチのセラピーにスピリチュアルを結びつけた点にある。
映画ではアンナが最後に言う台詞にスピリチュアルの本質を集約している。
それが何かは作品を観て確認して頂きたいが、本来我々が必要なのに忘れていた大切なメッセージを提示して締めくくっている。
この作品は妻そして母を喪った父と娘の再生の物語ではあるのだが、その背景には現代人が喪いつつある”他者を思いやる心”を呼び起こしてもいるのだ。
スピリチュアリズムを個人的な話で終わらせるのではなく、現代人の心の癒しとして一般化して還元する清々しいラストになっている。
★★★★
7月22日(土)より、シネマート新宿、YEBISU GARDEN CINEMAほか全国順次公開