キングスマン:ゴールデン・サークル 評論
20世紀FOX映画
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階級闘争の勝者がさらに高みを目指し栄光をつかむ話しではあるのだけれど、旧来のファンがついてこられるのかどうか。
映画ファンというのは観るジャンルがだいたい固定化される。アクション映画のファンであればずっとそのジャンルを見続ける。
キングスマンのコアなファンは第一作目に横溢する敗者のルサンチマンに強く共感したはずだ。だが、続編ではコンプレックスを克服した主人公が今度は個人的な闘争から社会正義のために戦うようになった。”弱者を庇護せよ”、”強きを挫き、弱き者を助けよ”と迫る。ルサンチマンからノブレス・オブーリージュへと極性が反転したのである。キングスマンのスピリットに共感した人間がたった2年でそれだけの成長に至るのかは疑わしい。
中二病患者は言ってしまえば自分が一番救われたいのである。
中二病患者がよく好む”世界を救う”というストーリーは方便であって、”世界を救う自分が愚民から賞賛を受けたい”という迂回した自己愛の投影なのである。前作ではその中二病のニーズに見事応えていたのだが、続編ではキングスマンは本当のヒーローになってしまった。前回の風刺はかなりエッジの効いたものだった。観ている者ですら風刺の対象だったのだから。だが、今回は違う。麻薬の使用について否定をしているが麻薬に頼る人にもそれなりの止むにやまれぬ事情があるのだろうという大岡裁きのような態度である。たぶん東南アジアの大統領の麻薬取り締まり政策を批判していると思うのだが、キングスマンのコアなファンに受け入れられるのかは分からない。彼らにとっては自分のことが第一優先で、言ってしまえば他人の窮状には無関心なのだ。それを自己愛の強い子供に急に大人になれ、と催促されているようなものだから。それもリベラルに、である。
キック・アスといいキングスマンといい、これらの作品には屈折した反骨精神のようなものがあったが、今作ではそれが無くなりずいぶんマイルドな仕上がりになっている。
前作はもっと個人的な話だったのが今回は公共を語る話しになっている。
アクションはパワーアップし、キングスマンの活動の拠点だったイギリスから場所をアメリカに移し”ステイツマン”という盟友が加わりスケールアウトしている。アクション映画として観るのには申し分ないが、前作のような個人に語りかけるような、ごく私的な書簡のようなメッセージは無くなってしまった。あるのは、”公共に奉仕せよ”、”大人になれ”という親のような訓戒である。
★★★
2018年1月5日(金)TOHOシネマズ 日劇他全国ロードショー