ミュータント・ニンジャ・タートルズ:影<シャドウズ> 評論
荒唐無稽な設定の中にもアメリカ人が考えるヒーローの本質が隠されている。ニンジャ・タートルズとあるように忍者なので古代日本の忍びの精神も注入されているが、ヒーローは異形であり、市民からは受け入れられない。だがヒーローはその現実を受け入れても街を守る。報われることのない公共への奉仕と引き換えに得るものは、無辜の市民の幸せだ。
前作に引き続き全編アクションの連続で重力を無視した動きは、どことなくスパイダーマンを想像させる。各々のタートルズは独自の武器を使うが武器の特性を活かすよりも超人的(まさに)な能力で敵を圧倒するパワーによって観る者に全能感とカタルシスを提供している。ヒップホップを聴きバスケット観戦が趣味のタートルズはニューエイジ(古い?)だが、忍びの精神を体得し、ニューヨークの街を守る影のガーディアン(守護者)である。敵はニューヨークを混乱に陥れようとする単純明快な悪で、子供には分かりやすいが大人には若干退屈ではある。
卑近な例を持ち出すが日本の過去のSFやアニメは観るのが子供だからといってお仕着せのお子様の話で終わらせなかった。子供が相手でも全力で矛盾する正義の話や解決の糸口の見えない問題をそのまま問題提起していたのである(例えばウルトラセブン)。ニンジャ・タートルズが映像化されて早四半世紀が経つ。初期のタートルズに親しんだ子供ももう大人だ。コミックを映像に起こしているのだとは思うが、これからは異形の戦士が遭遇するであろう、矛盾する正義や欺瞞、葛藤を個人的には見てみたい。今作ではそのタートルズ達の葛藤が少し見られるのではあるが、明るいティーンエイジのノリの陰に隠れてしまっている。
小学生向けという前提であるのであれば、ティーンエイジ・ミュータント・ニンジャ・タートルズは面白いと言えるのではあるが、個人的にはもっとダークなニンジャ・タートルズを見てみたい。その理由は異形のヒーローは外的内的に深い葛藤を抱え込むからだ。どうもミュータント系のSFでは特殊能力を持った超人のほとんどが自分の能力に満足してしまい能天気な雰囲気がだだ漏れしてしまっている。ヒーローの葛藤を上手く描けたのはバットマンや近年のスーパーマンだが、タートルズもその傾向が若干あるものの本来のノリの良さがその要素を打ち消してしまっている。
くどいようだが、やはりそれはティーンエイジ向けの作品だからということなのか。
とはいえ、タートルズの父であり師匠でもあるネズミのスプリンターが仲違いするタートルズを諭す時に言う「違いがチームを強くするのだ」など力強いセリフが全編にちりばめられ作品のアクセントになっている。タートルズのガッツと勇気に鼓舞される少年も多いのではないのだろうか。
挫折を経験し屈折した心を持ってしまった大人にはお勧めできないが、勇気・友情・不屈の闘志を信じる青少年(あるのなら大人でも)にはお勧めしたい。
★★★☆
2016年8月26日(金曜日)公開