リメンバー・ミー 評論
フリーダ・カーロが死者の国に居るってことは舞台がメキシコなんだろうってことは分かる。死者の国の住人が皆ガイコツで腕が取れたりユーモラスな動きで幼い子供の集中を途切らせない工夫は言うまでもないが、この作品の背骨になっている”家族”の物語は切ないまでの優しさに満ちあふれている。この作品には誰もが家族を想う心にあふれている。ミュージシャンを目指す少年のミゲルの将来を思う祖母や父母の気持ち、曾祖母の想いなど、この作品は他者をいたわる気持ちが主軸になって物語を牽引している。それがあっての家族のストーリーなのである。ディズニーはさまざまなジャンルの映画を発表しているがどれもが何かのガイドラインに沿って作られているように感じる。家族愛や夢とか、慈愛とかどの作品にも必ずディズニーが訴えたい要素が含まれている。付け加えるがそれらのガイドラインは観ている者には心地よいものばかりだと言えることだ。
この『リメンバー・ミー』にもそれがふんだんに取り込まれていて、ミゲルが音楽家を目指す夢を取るのか家族の絆を優先するのか二者択一の選択を迫られているのだが、それについてはこの作品でひとつの答えが提示されている。それはかいつまんで言えば、”夢も希望も家族あってのことだよね!”ということだろう。家族の愛が無い希望や夢は得てして”野心”や”欲望”になりやすい。家族の愛に支えられてこそ夢が叶うということなのだろうか。個人的に思うに、”夢”や”希望”は誰かの支持や共感がある。それが無いものは単なる”欲望”か”野心”でしかないケースが多い。たぶんミゲルの夢も他者からの理解が無ければ単なる立身出世の野心でしかないだろう。ミゲル一族は家族を養うために靴職人になるのだが、靴職人は靴職人の誇りと矜持がある。只、音楽を憎むあまり靴職人を誇るというのは少し歪んでいる。選択の余地が無いにせよ音楽家の対立軸に”靴職人”を配置したのはちょっと共感出来なかった。一方でそれも仕方が無いという気持ちもある。靴職人になんらかの救済措置があれば良かったのだろうけれど、それに拘ると本筋から逸れる。
”我々はいつも誰かの幸せを祈っている”。ピクサーはそうであると確信している。だからこのような作品が作れるのだ。
世の中、呪詛と呪いが覆い尽くそうとしている一方で、この作品のように他者を言祝ぐ気持ちを賛美する映画があり、またそれを支持する人が居るという事実にまだまだ捨てた世の中ではないと思う今日この頃である。
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※評価は今年の”better than good”になります。