ジェイソン・ボーン 評論
根無し草のジェイソン・ボーンと老獪な話術で彼を懐柔しようと企むCIA高官の利害が交錯する中で愛国心が問われていく。
只、愛国心は単なる駆け引きの道具でしかないのはCIA高官の行動を見ていれば明らかだ。物語の中ではジェイソン・ボーンはかつての愛国者であり、今は喪った愛国心も説得すればCIAに復帰するだろうと高官は予測している。
だが、前述したように祖国に裏切られたスパイの話なので、続編を作るにしても監督のポール・グリーングラスは世間が考えているような愛国者像は描かないだろう。それはアメリカ政府への強い不信感がスクリーンから滲み出ているので明白だ。
そもそもボーン・シリーズはアメリカから裏切られた愛国者という通底したテーマに貫かれており、そこには折れた信念と虚無感がストーリーに充満している。そしてこのシリーズを牽引していたサブストーリーはボーンの喪った記憶を辿る“自分探し”がテーマであったが、今回は“自分探し”という個人的なテーマから監視社会へという社会性のある物語へとスケールが拡大した。
自分の居場所は人工衛星とIPアドレスで何処に居てもたちどころに判明してしまう。世界中にある監視カメラをCIAの制御下に置き、入国管理で運用されているテロリストを識別する顔認証プログラムを使えば、国家権力の監視システムに死角は無い。今作品ではボーンの感情が愛国心と虚無心の狭間で揺れるのと同時に輻輳して監視社会の恐怖も描かれている。
今作でボーンの愛国心が問われているがその内面を描く以上にアクションシーンばかりに覆い尽くされてしまっている。愛国心がマクガフィン並みにしか機能していないような印象を受ける。
続編があるのならば、製作者には彼らの思う“愛国心”とは何かをスクリーンで表現して欲しい。
EUや経済協力など世界でグローバリズムが進行したが、昨今ではその反動からか、イギリスのEU離脱、共和党で大統領候補に指名されたドナルド・トランプ、日本の改憲勢力の台頭など、内外を問わずグローバリズムに反発する保守の躍進が見られている。
だからこそ今、愛国心について考えるのはタイムリーのように思う。
それが、保守派が考える愛国心ではなくとも愛国者のモデルケースの提示を期待したい。それはコミュニタリアン的な愛国心であっても良い。
ジェイソン・ボーンはかつての愛国者であったが、現在は意図せずとも結果的にコスモポリタン的な生き方を選好してしまっている。世界を股にかけるでっかい話というのが、現代社会でどれだけ受け入れられるのかは分からないが、時世的にちょっとワンテンポ遅れてしまっている感じがしないでもない。一方でウィキリークスのスノーデン事件や無料アプリで数億人のユーザー情報を得たインド系IT企業とCIAの裏取引など、リアルな世界での話題も取り入れているが、いかんせん現代社会の変化はもっと早くなり、時代を忠実に追うほど陳腐化も早いという皮肉な結果になっている。
内向的になるのは必ずしも悪いことではない。だが、多くの場合は保守ではなく“保身”になっている傾向がある。今作に登場するCIA高官も愛国心を滔々と述べながら実は保身しか考えていない。ポール・グリーングラスもそのことを暗に批判しているのではないだろうか。
★★★☆
2016年10月7日(金)ロードショー