ドクター・ストレンジ 評論

 

アーサー・C・クラークが提唱した“クラークの3法則”にあるように「十分に発達した科学技術は魔法と見分けがつかない」と定義されているが、この『ドクター・ストレンジ』は魔法と最先端の物理学を融合してリアリティのある魔法の世界の構築に成功している。


巷間で話題にのぼるパラレルワールドの有無や時間の概念についての考察を魔術と交えて綴るストーリーに説得力がある。ドクター・ストレンジが戦う闇の力の存在はおそらくダークマター(暗黒物質)のメタファーだろう。

傲慢な天才外科医である"ドクター・ストレンジ"ことスティーブン・ストレンジ(ベネディクト・カンバーバッチ)のキャラクタが秀逸だ。
彼の傲岸さは無知ゆえのうぬぼれではなく、実際にその手で多くの人命を救ってきた自負から来るものだ。
ストレンジは優秀でパーフェクトな人間に近いが、そのために他人が愚鈍に見えるのかもしれない。だが、彼はそのように見ている人間を救おうと尽力する。彼の傲慢さが憎めないのは、彼が人類に貢献してきた功績に人はぐうの音も出ないからだ。むしろここまで上から目線だと爽快ですらある。
彼には突き放した人類愛がある。ベタベタしないが立ち上がるべき時は率先して先陣を切って立つ。ドクター・ストレンジはそんな男である。
そんな彼が困難なオペをこなしてきた神の手を失い絶望に打ちひしがれる映画の前半はなかなか胸を打たれるものがある。
恋人に辛く当たり去られても、再起を賭け魔術に傾倒していくストーリーは人生の意味を追求したファウスト博士のように、幽玄なものでも救いを求めていく心理描写に説得力がある。

 

その他この作品を牽引するテーマに永遠の生命と時間がある。今回の仇役となったカエシリウス(マッツ・ミケルセン)にも永遠の生命を希求する切実な理由があって悪役ではあっても同情してしまう人ではあるのだが、この永遠の生命についてもこの作品ではストレンジとカエシリウス、それとストレンジの師匠であるエンシェント・ワン(ティルダ・スゥィントン)との対話で深く考察されている。そこは手垢のついた結論ではあるけれど、改めて訴えられると限りある生命に感謝したくなるのだ。

 

映像については世界の主要都市をキュビズム的に解体再構築して視覚化しているけれどこの程度のSFXならば2010年に公開された『インセプション』が記憶に新しい。映像は確かに素晴らしいが、これがパイオニアでは無い。
この作品が他作品より抜きん出ているのは、スティーブン・ストレンジのキャラクタに依ることが多いのと、魔術と現代科学の融合を“映画”という表現手段でリアルに見せたことである。

 

★★★★☆

 

2017年1月27日(金)公開

 

 

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