運命のボタン 評論

 

あらすじを簡単に説明すると、平凡な家庭に男がやって来て押しボタンの付いた箱を贈るのだが、このボタンを押せば100万ドルを贈呈するが、引き換えに自分の知らない誰かが死ぬというもの。 このアイディアの素晴らしさについては後で語るが、先ずマイナス面を挙げると演出が古臭いということ。 マインドコントロールされた人間がいかにもゾンビチックで滑稽ですらある。拠ってサスペンスの緊張感を殺いでいる。 その他、マインドコントロールされた人間にだけ起こる鼻血を出すという演出。その根拠がいかにも取って付けたようで、使用感のある演出はさすがに約30年前の小説を下敷きにしているだけはある。 しかし、そういうマイナス面を差し引いても余りある長所というのは、この”運命のボタン”である。 押せば誰かの命と引き換えに大金が手に入る。 映画では非現実的なアイテムとして登場するが、これは実に痛烈な作者の皮肉が込められていることを感じ取らなくてはならない。 例えば、イスラム圏で造られる精緻な装飾用の絨毯。これを織るには手先の器用な子供でないと作業が出来ず、業者が不当な賃金で子供を働かせ、外国へ高額な値段で売っている。子供は過酷に目を使う仕事を強いられるので終いには失明してしまう。 我々はそんな理由も知らず、絨毯を購入し、子供の労働環境を悪化させる商売を手伝うことに気が付かない。 また、奴隷同然に使役される子供の存在を知らずに彼らが作ったチョコレートを口に運ぶ。 そこには誰もが運命のボタンを押しているのだ。 自分の小さな我欲のためにどこか知らない人の運命を変えていることにもっと自覚的ならなくてはいけないことをこの映画は痛烈に皮肉っているのだ。 当時、作者にそれだけの先見性があったのかは分からないが、この批判が盛り込まれているのなら、リチャード・マシスンは天才というべきである。 映画の中でも男が利他主義に気が付かなければ人類は滅びると述べていることからも判るように、グローバリゼーションが進む世界に於いてWinWin関係を築くことに専心していかないと人類の未来は暗い。 そのことを30年前の小説で警鐘を鳴らしているのだから、作者の先見性を讃えるべきか、進歩しない現実を憂うべきか判断に迷うところではある。 『運命のボタン』は結構深い。 上映後、レプリカの”運命のボタン”が展示されていたのだが、多くの人が面白半分に押して行ったが、私は押す気分になれなかった。 それ以上に日常の中で無意識に押している見えない”運命のボタン”を思うと心中穏やかざるものがあった。

★★★★

 

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